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奇跡を呼ぶ男〜2003J1・2ndステージ最終節(2003.11.30)

 

   勝ったのは、10人の横浜F・マリノスだった。

   たった5分間のできごとだった。5分という短い時間のなかで、2003年度J1・2ndステージの優勝は、ジュビロ磐田から鹿島アントラーズへ、そして横浜F・マリノスへと移っていった。

これまでにも、ロスタイムにおこった悪夢や奇跡はいくらでもあった。日本代表がワールドカップへの夢を絶たれた「ドーハの悲劇」もそうだし、1999年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝でのマンチェスター・ユナイテッドの大逆転劇もロスタイムでのできごとだった。しかし、リーグの優勝を狙う3つのチームがからんだ2つの試合のロスタイムでこんなことが起こるとは…。まさに奇跡としか言いようがない。

しかし、奇跡にも、それが生まれる背景や要因はある。

奇跡の背景には、Jリーグの試合方式があった。

大混戦となった2ndステージ。最終節で優勝の可能性を残すチームが4つあった。さらには、2試合を残す13節終了時点で、J1、16チームの半分にあたる8チームが勝ち点差3のなかにいた。この大混戦は、1シーズン2ステージ短期決戦という「Jリーグ(J1)のオリジナル」と、引き分けという「世界のスタンダード」との組み合わせが招いた。

J1の各ステージは、15試合で優勝を決める短期決戦方式である。試合数が少ないのだから、勝ち点の差も大きくはならない。そこに、今年度から、「90分間で同点の場合は引き分け」が導入された。1stステージでは、1節(8試合)平均1.5試合だったが、2ndステージでは、1節(8試合)平均2.8試合と急増した。増加の理由はともかく、引き分けが増えたことによって、各チームが積み重ねる勝ち点は少なくなった。また、昨年までの成績を見るとわかるが、上位チームと下位チームの差は延長戦での勝敗が大きく影響していた。延長戦がなくなることによって、上位と下位の勝ち点差が縮まったのである。

では、奇跡の要因は何だったのか。混戦の中で、横浜F・マリノスが勝ったのはなぜか。

あえて挙げるとするならば、横浜F・マリノス、岡田武史監督の「運のよさ」「めぐり合わせのよさ」ではないだろうか。鹿島と浦和の試合が引き分けに終わった瞬間に、両手を広げてピッチに駆け出した岡田監督は、あのジョホールバルで、日本代表がワールドカップ初出場を決めたときとまったく同じだった。こんな瞬間を何度も味わえる監督はそうはいないはずだ。流れはすべて、強運の岡田監督のもとに、そして横浜F・マリノスに向かっていたのだ。

最終戦、前半15分で10人になってからの横浜F・マリノスは、それまでの11人のチームよりもチームとして機能していた。選手たちは、あきらかに10人で戦うことに慣れていた。2ndステージの第11節、対セレッソ大阪戦では佐藤(由)が、第12節、対名古屋戦では松田が、第13節では柳が退場となった。2敗1分けだった10人での戦いは、最終節のためにあったのかもしれない。

退場となったGK榎本(哲)のサブが、元日本代表の下川だったのも幸運だった。今シーズン初めての出場となった下川だったが、ベテランらしく、窮地のなかでもとても安定したプレーぶりだった。逆転のゴールは、下川のロングキックが発端だったことも忘れてはならない。

相手が衰えていたのも確かだろう。前半2分で先制し、15分には相手選手の退場によって11対10という数的有利な状況になりながらも、追加点を奪えず、あげくの果てには、同点のみならず、ロスタイムでの逆転を許してしまったジュビロ磐田。中山雅史が吹き込んだ「魂」は、どこかに消え去っていた。また、前半で2点をリードしながらも、後半のロスタイムで同点にされてしまった鹿島アントラーズ。「勝ちたい」という気持ちは前節で出し切ってしまったのか。かつてのJリーグの王者たちに、その影はなかった。

横浜F・マリノスの直接の対戦相手ではなかった鹿島アントラーズの相手は浦和レッズだった。ナビスコカップで鹿島アントラーズに圧勝した浦和レッズ。満員の熱狂的なサポーターをバックにして、むざむざと負けるわけにはいかない浦和レッズ。2試合の出場停止からエメルソンが戻ってきた浦和レッズ。勝利が必要な鹿島アントラーズにとって、これほどいやな相手はなかった。

確かに結果論ではある。しかし、だからこそ岡田監督の強運を感じざるを得ない。修羅場をくぐってきた監督が必要なのは、こういうことも含まれてのことではないのだろうか。

奇跡を呼ぶ岡田監督のもとで、横浜F・マリノスは、2ndステージの優勝と同時に、2003年度の年間優勝も手にすることになった。昨年度のジュビロ磐田に続いての1st、2nd両ステージ制覇の完全優勝となった。

2003年11月29日。Jリーグの新しい10年の1年目が終わった。

最終節の2試合に奇跡を起こした、久保(横浜)とエメルソン(浦和)の2つのヘディングシュートとともに、「岡田監督率いる10人で戦う横浜F・マリノス」が、2003年度のJリーグを象徴するチームとして、ぼくの記憶に残ることだろう。

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